たくさんの文章問題を解いて、たくさんの「読書」をしよう!
皆さんもそうだと思いますが、私は学生時代、周りの大人達から「読書をしなさい」とよく言われました。でも・・・これも皆さんもそうだと思いますが、なかなか読書を習慣づけるまではいかなかったものです。
だから私の学生時代の読書といえば、これからむかえる夏休みの「読書感想文」の課題図書や、塾や学校の国語の授業の設問に登場する作品を「解くために読む」読書ばかりでした。
課題図書はともかく、授業の設問に出てくる作品を読むことが、果たして「読書」と言えるのか?
そんな疑問はありますが、問題に出てくる作品というのは良作が多く、範囲の抽出の仕方も絶妙なものばかりです。授業という限られた時間内で、その内容や作品の本質を把握でき、問題を解くためという目的を忘れてしまうほど深く入り込めます。
また、問題を解いた後、先生・講師の解答解説で登場人物の意図を正しく理解することで、作品全体を熟読するのと同じくらいの満足感を覚えることもあります。
そう考えれば、「文章問題を解く」=「読書」と考えても良いのではないでしょうか。
仮に、毎週1回国語の授業があるとすれば、少なくとも年間で52作品を読む事になります。文章問題は国語に限ったものではありませんし、自習などでたくさんの問題を解けば、それだけもっと増やすことができます。
そして問題に出てくる作品は、本人の好みとは関係なく多岐にわたっており、読んでみて初めて気づくことや、自分では思いもよらない“出会い“が多いものです。
私も授業や試験問題で読んだ作品の中で、大人になってなお忘れがたいものがいくつかあり、折に触れ思い出します。それは、子供の頃の感性で触れた何にも代え難い“素敵な出会い”です。
問題と思うか、読書と捉えるか。学生でいられる間、その時々の気持ちでたくさんの作品に出合って頂きたいと思います。
文責 C.T.